家族ってのは、まあ昔から「こうあるべきだ」みたいな正解を押しつけられがち。
でもそれってそもそも正解なんてないって話なんですよね。
うちなんて典型例で、
「お父さんいなくて大変でしょ」「子供がかわいそう」なんて心配してくる人がいるけど
子どもたちの父親は“結婚しない形で存在している”からね。
人間って勝手にドラマ作りたがる生き物だから、
事情をちょっと聞くと、すぐ“薄幸のヒロイン”の台本を押しつけてくる。
いやいや、そんな安っぽい2時間ドラマじゃないんだよ、こっちは。
父親は父親でちゃんといて、
家族そろって遊園地のヒーローショーを観に行ったり、父と息子で釣りに行ったりしてたわけだ。
子どもが小学生のころ悪サして呼び出されたときも、両親揃って謝りに行ったし。
「同居してなきゃ父親じゃない」なんて誰が決めたのか。昭和の大家さんか?
同居してないだけで、子どもたちにはちゃんと“父親”という存在があったし、
むしろ適度な距離感のおかげで仲良かったぐらいだ。
さらに言えば、私には自分の父と弟がいた。
世の中には「男手がなくて苦労したんでしょ?」なんて妄想がはびこるが「むしろ男手、多かったけど?」だ。
頼ればすぐに動いてくれる男衆がいて、子育てに関して「男親がいないから不自由した」なんて経験は一度もない。
世間が勝手に作った“かわいそうな物語”なんて、当事者からしたらだいたい的外れなんだ。
それに、子どもは案外しっかりしてる。
大人が思うほど弱くない。
大人が勝手に設定した「普通の家族像」なんかなくても、ちゃんと育つ。
むしろ“普通という枠”を押しつけないほうが、伸び伸び育つもんだ。
まあ、それでも世の中は「普通」じゃない家庭を見ると、すぐ心配したがる。
あるいは批判したがる。なんていうか、自分の中の“正解”に合わないものを見ると、ムズムズするんだろうね。
でもよく考えてほしい。
今の時代、家族の形なんて、スマホの機種変より種類多いんだから。
再婚、事実婚、同性婚、シングル、シェアハウス……。多様性のデパート状態よ。
なのに、「これが普通だから幸せ、こっちは外れてるから不幸」なんて線引きは、もう滑稽なんだよね。
大事なのは“誰とどう生きて、どう幸せを感じてるか”であって、形式は二の次。
家族なんて血のつながりより、心のつながりのほうがよっぽど強い時もある。
反対に、形式だけ整ってても、心がバラバラな家だって山ほどある。
だから、堂々と言いたい。
「家族の形は、人の数だけあっていい」
もし今、「うちは~こう~だから…」なんて周りの目を気にして縮こまってる人がいたら、肩をポンと叩いて言いたいね。
自分の人生のプロデューサーは自分! 世間体なんて気にしてたら、ココロのほうが先にバテちゃう。
私の家庭だって、教科書に載るほど立派じゃないけど、子どもたちは元気に生きてて犯罪歴もない。
これで何が不幸だって話だ。
むしろ、型にハマらなかったからこそ学べたことや、得られた強さがある。
結局のところ、家族の問題って、周囲の「こうであれ」という期待と、
自分の「これでいい」という確信の綱引きなんだよ。
私は自分側にぐいっと引っ張る。
たまに空気を読んで無難な方へ行くこともある。それはそれでムリしてない。
臨機応変に対応できるほうが楽しいし、何より人生が私らしくなる。
だから読んでくれたあなたにも言っておきたい。
“自分の形を持ち抜く勇気”を持ってみて。
家族ってのは、今いるメンバーと作るオリジナル作品なんだから。

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