たぶん私は、
アウェーという概念をあまり信じていない。
正確に言うと、
信じなくていいと思うようになった。
知らない人だらけのイベントにも、ひとりで行く。
誰かを誘うという発想が、そもそもあまりない。
イベントの内容が面白そうなら、それで十分。
ひとりで立っていれば、だいたい誰かが声をかけてくれる。
同じくひとりで来ている人を見つけたら、同志。
友達同士の輪に混ざることもあるし、
会場スタッフに「初参加なんです」と言えば、たいてい橋渡ししてくれる。
居心地の良さって、
人数や顔見知りの多さじゃない。
自分が縮こまらないこと。
それだけ。
中学時代、部活でハブられたことがある。
でも部活には目的があったから、あまり気にならなかった。
やることをやっていれば、周囲は背景になる。
それに、
集団で誰かを排除しているとき、
よく見ると、全員が加担しているわけじゃない。
空気に巻き込まれているだけの人が、必ずいる。
そういう人は、雰囲気で分かる。
だから私は、そっと言う。
「大変だね、気にしなくていいよ」
すると、不思議とそこから崩れていく。
強い人に従っていただけの人が、
一人、また一人と、戻ってくる。
くだらない排除は大人になってもあるもんだ。
つい最近も、女性ばかりのバイト先で数十年ぶりに
「あら?私嫌われてる?」という場面に遭遇した。
たぶん、
ちょっとした指摘が気に障ったんだと思う。
以来、仕事の指示を仰いでも「知らない」。
ウソの案内。
露骨。
でも私は、それを無視する。
無視されていることを、無視する。
「知らないんですね〜。わかりました、じゃあ私がやっておきますね」
「あれ?私~こう~教わりましたけど違うんですね~」
そう言って、淡々と進める。
困っても別のやり方で普通にできてしまう。
つまり困らない。
むしろ
教えてあげましょうか?と言える余裕。
結果。
イジメればイジメるほど、跳ね返っていく。
その人のほうが、だんだん苦しくなっていく。
これ、人間ができているわけじゃない。
全部、反逆。
静かな反抗。
そして、かなり気持ちいい。
多分相手からみたら嫌がらせ?
狭い一方通行の道を歩いていたとき、
後ろから車に怒鳴られたこともある。
「轢くぞゴルア!」と。
普通なら、怒るか萎縮するだろう。
大きな声で言い返そう「ゴメンねっ!」
そして私はこう続ける。
「轢かないでくれてありがとう!」
そう言ってよけてあげたら、
その運転手、
「あぁ……」って小さく会釈して、走り去っていった。
たぶんね。
人は、敵意に敵意を返されると強く出る。
でも意外性を突かれると、急に行先を失ってうろたえる。
人間関係も同じ。
うがった見方をすれば、世界は敵だらけ。
でも「事情があるのかも」と一段引いて見ると、
景色は変わる。
知らない人に「バカ◯ね」と言われたら腹が立つ。
でも我が子に言われたら
どうしたんだろ構ってほしいのかな、と思うでしょ。
それと同じ。
視点ひとつ。
アウェーか、アウェーじゃないか。
それは環境じゃなく、
自分がどこに立つかで決まる。
がんばったのに上司が評価してくれない
──じゃなく
どうしたらこの人は褒めるのか
悪口言わないで欲しい
──じゃなく
どうしたら悪口言わせなくできるか
居心地は、外にない。
自分の中にある。
今日も私は、
知らない場所に、ひとりで行く。
たいてい、楽しい。

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